福岡高等裁判所 昭和59年(う)760号 判決
【主文】
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年八月に処する。
原審における未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入する。
押収してある竹棒一本(原庁昭和五九年押第六四号の1)を没収する。
【理由】
本件控訴の趣意は、検察官難藤務が差し出した控訴趣意書(検察官森統一作成名義)に、これに対する答弁は、弁護人伊達健太郎が差し出した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第一(事実誤認及び法令の解釈・適用の誤りの主張)について
所論は、要するに、原判決は、本件各公訴事実中、昭和五九年七月一七日付起訴にかかる、「被告人は、昭和五九年五月一一日午後一〇時三〇分ころ、佐賀県多久市東多久町<省略>自宅玄関において、A(当六九年)が酔余自宅玄関先で騒いだことに憤激し、長さ約八六・五センチメートルの竹棒でその頭部を殴打する暴行を加え、よつて、同人に対し、加療約一〇日間を要する左前頭部挫創の傷害を負わせたものである。」との公訴事実については、被告人に対して無罪の言渡しをし、その理由として、被告人の右Aに対する傷害の事実は認められるけれども、それは、被告人が、自己の住居の平穏を阻害するAの急迫不正の侵害に対しその住居の平穏を防衛するためにやむなく出た行為の結果にほかならないから、その所為は、正当防衛行為として、罪とはならない旨判示しているが、これは、刑法三六条の「権利」についての解釈を誤り(「住居の平穏」は、「権利」とまではいえない。)、かつ、正当防衛の要件となるべき事実を誤認して、同法条の適用を誤つたものであり、その誤り及び誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、検討するに、原審及び当審において取り調べた関係各証拠によると、
1 被告人とAとは、佐賀県多久市東多久町<省略>内に居住して、親しく近所付き合いをしていたが、昭和五九年五月一一日の夜、被告人の妻甲女が酒に酔つてA方を訪れ、同人に対し酔余悪口雑言を述べたてたため、同人は、立腹の余り、右甲女の後を追つて、同日午後一〇時過ぎころ、被告人宅に上り込み、被告人に対し文句を言つたところ、かえつて、被告人から、人の嫁のことに口出しをするななどと怒鳴り返され、押入れの襖に押しつけられたうえ、無抵抗な状態でその右胸部を手拳で殴打され、かつ、同部に激しく二回膝蹴りを加えられたこと(その結果約一〇日間にわたり湿布等の治療を受けた。)、ちなみに、被告人宅は、電気料金滞納のため、送電を停止されていて、室内にはろうそくの明かりがともされていたこと、
2 Aは、右のとおり、暴行を加えられて、そのまま自宅に逃げ帰つたものの、憤懣やる方なく、被告人に謝罪させるため、万一の用意に自宅から包丁を持ち出して、同日午後一〇時二〇分ころ、被告人宅に引き返したが、被告人は、Aが出て行つた雰囲気から同人が引き返してくることを察知して、玄関戸に施錠しておいたため、Aは、これを開けることができず、包丁を右手に持つて下げたまま、玄関外側から「開けろ」「開けんかこの野郎」「二人で俺を馬鹿にしやがつて」などと怒鳴りながら、玄関戸をさかんに足蹴にし、これに対し、被告人は、玄関内から「うるさいから帰れ」「たいがい分にして帰らんか」などと怒鳴り返して応酬していたが、Aは、五分ないし一〇分間にわたり、右のような行為を続けていたこと、
3 被告人は、Aの右のような行為に立腹の度を深め、玄関脇の風呂場からサッシ窓を開けてAの様子を秘かに窺つたところ、同人が包丁を手にしていることに気づいたが、さしあたり、同人が右以上の行為に及ぶような気配はなく、かつ、屋内にいる被告人らに対し包丁で危害を加えるような可能性もなく、そのまま放置しておけば、間もなく諦めて帰宅することが十分予想される状況にあり、自らもその認識を有していたにもかかわらず、右風呂場からAに対し攻撃を加えてうつ憤を晴らすとともに、同人を追い払うことにより侵害を排除しようと決意したこと、
4 そこで、被告人は、八畳の床間に置いてあつた竹棒一本(長さ約八六・五センチメートル、原庁昭和五九年押第六四号の1)を手にして右風呂場に戻り、浴槽の縁に足をのせて立ち、サッシ窓をあけて右竹棒を構え、玄関先から後に下がつたA目がけていきなり右竹棒を突き出す暴行を加えたが、その先端がAの左前頭部にあたり、突かれたAは、「あ痛つ」と声をあげてその場にうずくまつたこと(検察官は、Aが被告人から暴行を受けたのは、Aがすでに諦めて帰宅しようとした際であつて、Aの侵害行為はその時点では終了していた旨主張し、Aも、原審並びに当審において証人としてこれに沿う供述をしているが、この供述部分は措信できない。)、
5 Aは、その結果、左前頭部に左右に長さ約四センチメートルにわたる挫裂創を負い、五針縫合の手術を受けたが、その加療には約一〇日間の日数を要したこと、
6 右挫裂創の創口は、右のとおり左右に水平方向に生じているのであるから、同創傷は、被告人の弁解するように、被告人がAの右手に振りかざした包丁を落とそうとして竹棒を上から下に向けて振り下ろすことによつて生じたものではなく(もし、右のように振り下ろしたとすると、その先端がたまたま左前頭部に当たつたとしても、それによる創口の方向は上下方向となるはずである。)、Aの供述するように左前頭部を突かれたために生じたものであること、
7 そして、被告人は、Aがうずくまつた後、同人の左前頭部から血が流れ出してそのシャツが赤く染まつたのを見て驚き、止血のための応急措置をしたうえ、同人が病院に行くのに付き添つたこと、
以上の各事実を認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は、いずれも、その余の前記関係各証拠に照らして信用することはできない。
原判決は、被告人がAに対し竹棒で暴行を加えた際の状況につき、被告人の弁解に沿い、被告人が、風呂場の窓を開けた後、、Aに対し、「たいがいにして帰らんか」などと怒鳴つたところ、Aが「何をぬかすか」などと叫んで包丁を振りかざした旨の事実を認定している。しかし、Aの検察官に対する供述調書及び証人Aの原審並びに当審各公判廷における供述によると、同人は、風呂場の窓が開いて突然竹棒が突き出されたもので、その直前に風呂場にいた被告人と応酬し合つたことも、被告人に向かつて包丁を振りかざしたこともない旨一貫して供述していて、この点について思い違いをしたり、記憶があいまいになつていると思われるような事情は窺われないこと、他方乙女の検察官に対する供述調書及び証人乙女の当審公判廷における供述によると、同女は、その際の騒ぎを被告人宅の真向かいにある同女宅で聞いていたが、突然Aの「あ痛つ」という声が聞こえ、そのすぐ後にAのそばから屋内にいる被告人の妻に向かつてタオルをもつて来いと言つている被告人の声が聞こえたというのであつて、Aの叫び声の直前に、被告人とAとが直接応酬し合つた状況については述べておらず、右のように突然「あ痛つ」という声を聞いた旨述べているものであること、そして、風呂場の窓を開けた状態で被告人とAとが言葉を掛け合えば、被告人の声がそれまでと異なり外によく響く状態で聞こえているはずであり、Aの叫び声もそのような言葉のやり取りを含めた一連の動きとして聞こえているはずであるのに、右のような供述になつていることからすると、同女の供述するところも、右のAの供述するところに符合するものと認められるのであつて、これらによると、被告人は、風呂場の窓を開けた後、Aに対しいきなり暴行を加えたものと認めるのが相当であり、被告人のこれに反する弁解は措信できないものである。また、原判決は、暴行の態様につき、竹棒の先の方で、Aの頭部から肩部にかけて一回殴打したと認定しており、この点についても被告人の弁解に沿う認定をしているものと解されるところ、その態様は、前示のとおり、殴打したものではなく、突き出したものと認められるから、被告人がAに対し竹棒で暴行を加えた状況、態様についての原判決の認定には、事実の誤認があるといわなければならない。
ところで、刑法三六条にいう権利の侵害とは、広く法律上保護に値する利益に対する侵害を含むものと解されるところ、Aが、被告人宅の玄関戸を五分ないし一〇分間にわたつて足蹴りするなどした行為は、原判示のとおり、住居の平穏を侵害する行為にあたり、その行為に正当性を認めることはできないから、右は不正の侵害に該当するものと解すべきである。しかし、相手方の不正の侵害行為が、これに先行する自己の相手方に対する不正の侵害行為により直接かつ時間的に接着して惹起された場合において、相手方の侵害行為が、自己の先行行為との関係で通常予期される態様及び程度にとどまるものであつて、少なくともその侵害が軽度にとどまる限りにおいては、もはや相手方の行為を急迫の侵害とみることはできないものと解すべきであるとともに、そのような場合に積極的に対抗行為をすることは、先行する自己の侵害行為の不法性との均衡上許されないものというべきであるから、これをもつて防衛のための已むを得ない行為(防衛行為)にあたるとすることもできないものと解するのが相当である。これを右各認定事実について見ると、Aの行為に先行する被告人の行為が理不尽かつ相当強い暴行、すなわち身体に対する侵害であるのに対し、それに対するAの行為は、屋内にいる被告人に向けて、屋外から住居の平穏を害する行為を五分ないし一〇分間にわたつて続けたに過ぎないものであつて、Aにおいて包丁を所持していたとはいえ、未だ、それによつて被告人らの身体等に危害が及ぶという危険が切迫した状態にもなかつたことを考慮すると、Aの右行為については、未だこれを被告人に対する急迫の侵害にあたるものと認めることはできないし、右状況の下で、Aの身体に対し竹棒で突くという、傷害を負わせる危険性の高い暴行を加えて対抗することは、Aの行為を排除する目的を併せ有するものであることを考慮しても、自己の先行行為のもつ不法性との均衡上、これを防衝のための已むを得ない行為(防衛行為)にあたるものと評価することもできない(従つて、過剰防衛にもあたらない。)。
そうすると、前記公訴事実につき、被告人に正当防衛の成立を認めて、被告人に対し無罪の言渡しをした原判決は、正当防衛に関する事実を誤認して、法令の適用を誤つたものであり、その誤認及び誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。そして、右の無罪の言渡しにかかる公訴事実と有罪の言渡しにかかる原判示の事実とは併合罪の関係にあるものとして起訴されたものであり、これらについては一個の刑を科すべきであるから、原判決は、結局、その全部について破棄を免れない。論旨は理由がある。
それで、その余の控訴趣意(量刑不当の主張)について判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、更に次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 昭和五九年五月一一日午後一〇時三〇分ころ、佐賀県多久市東多久町<省略>の自宅玄関先で、A(当時六九歳)が、その直前に被告人から暴行を受けたことに憤慨し、包丁を手にして、「開けろ」「出て来い」などと怒号しながら、約五分ないし一〇分間にわたり、右玄関戸を足蹴りにしたことに立腹するとともに同人を追い払おうと考え、同自宅室内にあつた竹棒(長さ約八六・五センチメートル)を右手に持ち、右玄関横の風呂場内に赴いて、そのサッシ窓から、やにわに右竹棒(原庁昭和五九年押第六四号の1)を前記A目がけて突き出し、これを同人の左前頭部に突き当てる暴行を加え、よつて同人に対し、加療約一〇日間を要する左前頭部挫裂創の傷害を負わせ、
第二 法廷(ママ)の除外事由がないのに、同年六月二日ころ、右自宅において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・〇三グラムを溶解した水溶液若干量を自己の左腕部に注射し、もつて覚せい剤を使用したものである。
(証拠の標目)<省略>
(累犯前科)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は、刑法二〇四条、罰金等臨時措置法二条、三条一項一号に、判示第二の所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、前記前科があるので、それぞれ刑法五六条一項、五七条を適用していずれも再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、後記の量刑の事情を考慮して、被告人を懲役一年八月に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入し、主文掲記の竹棒一本は、判示第一の犯行の用に供した物で、被告人以外の者の所有に属さないから、同法一九条一項二号、二項により、これを没取し、原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書に従い、これらを全部被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
記録及び当審における事実取調べの結果に現れている本件各犯行の動機、態様、罪質及び結果並びに被告人の年齢、性格、素行、経歴、境遇、前科前歴関係及び右各犯行後における態度など量刑の資料となるべき諸般の情状、殊に、被告人は、いわゆる粗暴犯に属する罪により三回罰金刑に処せられ、昭和五二年一〇月一四日には、佐賀地方裁判所で、覚せい剤の自己使用を内容とする覚せい剤取締法違反の罪により懲役四月に、昭和五六年一二月二五日には、前同裁判所で、覚せい剤の自己使用及び所持を内容とする前同法違反の罪により懲役一〇月(原判示の累犯前科、ただし、判示第一、第二の各罪についての累犯前科)にそれぞれ処せられながら、本件各犯行に及んだものであること、判示第一の事案は、右のとおりの罰金刑歴を有する被告人が、近隣に住む、自己よりははるかに年上の老人に対し、竹棒を突き出して、同人の左前頭部に挫裂創を負わせたという、極めて危険なものであつて、被告人の粗暴な性格はこれを否定するわけにはいかないこと、また、判示第二の事案は、右のとおりの覚せい剤取締法違反歴を有する被告人が、またしても、覚せい剤を自己使用したというものであつて、被告人には覚せい剤に対する親和性のあることが看取できること、そして、被告人は、もと暴力団の組員であつたものであつて、前記各前科を有するほか、懲役刑に処せられたことが一回、罰金刑に処せられたことが三回あり、しかも、原判示の累犯前科の刑を受け終つた後は、全く職に就いたことはなく、徒食の生活を送つていたこと、従つて、被告人の本件刑事責任を軽視することはできないこと、反面、判示第一の被害者にも、その判示のとおりの落度があり、同人の被害感情も、現在では、緩和されていることに徴すると、被告人に対しては前記のとおりの刑を科するのを相当とするものと認める。
よつて、主文のとおり判決する。
(桑原宗朝 小出錞一 泉 博)